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2014年5月12日月曜日

追悼 アイルトン・セナ 【上】

去る5月1日は、モーターレーシング界にとって特別な日。
20年前のイモラ。エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリサーキット。
世界でも20余名しか持つことを許されないスーパーライセンスを持ったレーシングドライバーのうち、
その頂点に立った人が亡くなった日。

特別なのは亡くなった人の偉大さだけではない。
その前日4月30日にも、同じくスーパーライセンスを持った人がサーキットに散って行った。

1994年F1グランプリ第3戦サンマリノGP。
F1グランプリ史上最も悲しいGPは、すでに予選から異様な状況だった。

4月29日金曜日。予選1日目。
ルーベンス・バリチェロが縁石に乗り上げて空中を舞う。
マシンはそのままコースフェンスへ激突、落下。数回転横転してやっと止まる。
バリチェロは命に別条はなかった。
クラッシュの衝撃に比べて骨折ですんだため、むしろマシンの頑丈さを証明してみせたと皆思った。

4月30日土曜日。予選2日目。
ローランド・ラッツェンバーガーが高速コーナーを直進。ほぼ真正面からウォールへ激突。
予選は中断。ラッツェンバーガーは救急搬送されるも死亡。残りのセッションはキャンセルになった。
昨日から続く事故、そして久しぶりに起こってしまった死亡事故に、サーキットは騒然となる。
この時、グランプリの医療責任者であったDr.シド・ワトキンスは
アイルトン・セナがひどく取り乱していたと語っていた。
それでもセナはポールポジションを獲得し、決勝を走る決意をする。

5月1日日曜日。決勝。
ラッツェンバーガーを悼んで、彼がスタートするはずだったグリッドを空けた状態でレースはスタート。
スタート直後にメインスタンド前でクラッシュ。パーツが撒き散らされ、セーフティカー導入。
その後、再スタートした後に悲劇が起こる。
再スタート後の2週目。セナ、シューマッハの順でコントロールラインを抜け、続く高速コーナー、タンブレロ。
曲がるべきところをセナは直進し、コンクリートウォールに激突。
彼がヘルメットを脱ぐ姿は、2度と見られなくなってしまった。



彼らが逝って20年。
イモラでは追悼記年式典などが開催されたようです。

セナ追悼、サッカーチャリティマッチ開催
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=56345

永遠のヒーロー、セナへ…現役ドライバー達の言葉
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=56314

プロスト、セナとの“半年間の友情”について語る
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親友ベルガーが語るセナの“最速への執念”
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森脇、金子、川井、右京。セナを語る
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今も生き続ける、アイルトン・セナの想い
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=56399